2011年12月26日月曜日

救いようがない

12月に入って大陸から漸く寒気が下り、冬の佇まいが周囲を被うようになった。でも市井の季節感は毎年無味乾燥としたものになってゆく。だいたい正月の時期には街の商店街はどの店もすっかりと店を閉ざし、昼間はお年始の挨拶廻りや初詣の人々が行き交うが夜になると人気の無い街の風景が当たり前だった。


今は大晦日~元日と通常通りにスーパーやコンビニがお客を待ち受けている。これでは平時と全く代り映えがしない。世の中が通常に近い形で動いていれば何も特別な休日ではなかろう。年中行事なんて言葉が死語に近くなるのも仕方がない。どうも利便さばかりが世の中で先行してしまった形がこれなのかもしれないね。


こんな風潮はダイエーの中内と言う名物オーナーが少し昔に激烈なスーパーの販売競争の中で「うちは正月から営業する。旧年中に忙しくて買い物が出来なかったお客様の為だ。」なぞという訳の分からない屁理屈で無理矢理業界の慣習を攪乱した事に端を発している、と覚えている。無論それ以前に年中無休、親の死に目に会えないコンビニの営業戦略にも影響されたのだろうが。


バカだ。救いようがない、と思った。こんな発想の経営者が流通業界に多大な影響を与えているのは日本の文化にとって深刻な汚点、とも真剣に考えた。カネさえ払えばいつでも気軽に快適な生活が送れると言う幻想を彼らが発信し続けているのが一番イタい所で、一年中食べられるトマトやキュウリ、安ければペットボトルに詰めて乱売してしまうボージョレヌーボーなんて完全に季節感や個人的趣向に相反しているとは思わないのかね。まぁバカなんだろうね。






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